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頑張っています。

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◎こだわりとの闘い編

保育所は、地元の保育所に障がい児がおりまして、加配の先生が付いておられたので、うちの子もそうして欲しいと願い出て入れてもらいました。

年少の時はとにかく泣いてばかりの日々でした。

どの写真も先生が代わる代わる抱っこしているものばかりです。

年中になって先生から、「息子君は朝来るといつも赤ちゃん組に行って、そこでしばらく過ごすんですよ。」と言われました。

何をするわけでもなく、作り棚の上にちょこんと座って、よその子のすることを眺めているそうです。

自分の居場所を見つけたようで、それからは少し落ち着い てきました。

 

学校は迷わずしらとり支援学校に進みました。

せっかく地元の保育所に通っていたので、地域の児童クラブに入れていただき、夏休みはラジオ体操にも参加し、また姉が通学していた縁で地元の小学校のプールにも入れてもらいました。

もちろん私の監視付きです。

小学部3年生になり、突然悲劇が私たちを襲います。

息子が咳パニックに陥りました。

人の咳、くしゃみ、赤ちゃんの泣き声などに過剰に反応し、ところかまわず暴れ出します。

大声で泣き出す、物を投げる、ガラス窓を叩く、机をひっくり返す、人を引き倒すなど、家や学校や出先で暴れます。

さっきまで笑っていた子が急に豹変するものですから、私やお父さんはいつもピリピリし、神経をすり減らしていきました。

息子がいない時でさえ人の咳でハッとするようになってしまい、夫婦でノイローゼなってしまう寸前だったことを思い出 します。

 

それでも、小学部はまだ私よりも背が低かったのでどうにか力で抑えられたのです。

中学部に行くともうそういうわけには行きません。

どこで暴れ出すかわかりませんので、いつ引き倒され てもいいように私は常に身構える日々でした。

先生方も一緒だったと思います。

中1の時には先生が何故人は咳をするのかという教材を作って生単で授業をしてくださったり、「見通しがつかないことがパニックのきっかけになるのかもしれないから。」と、息子が不安 にならないように努力してくださいました。

中学部2年と3年の時、高岡支援学校から転任してこられたH先生が担任になりました。

H先生は体を張って息子と対峙してくださいました。

「また暴れたんけ?暴れたらあんたが損ながやよ。」とよく息子をたしなめてくださいました。

息子にとって風邪の流行する冬は試練の季節です。

3年生の時、下校バスの中で暴れてとうとうバスから降ろされてしまいました。

それからしばらくは学年の先生全員で息子をフォローしてくださり、代わる代わるバスに一緒に乗ってくださいました。

私もバス停を2つ手前で乗り降りさせるようにし、mp3プレーヤーを購入して、車中はずっと音楽を聴かせる手段を取りました。

息子も私も非常に辛い時期ではありましたが、学校と家庭が一致団結して息子のこだわりと闘うという、とても思い出深い 忘れられない日々でもあったように思います。

高等部に進学し、残念ながらH先生は再び元の高岡支援学校に戻っていかれましたが、ここが限界。

私は薬に頼ることを決断し、もともと小6の時からてんかんの薬を飲んでいた関係で主治医に相談し、抗精神薬を処方していただき、今も飲み続けております。

 

そんな中、私たち親子に新しい出会いがありました。

高1の3学期にクラス担任が関東へ出張し、副担任も病気で休職するアクシデントがありました。

その時に代理で担任となったのがM先生です。

先生からは徹底的に自閉症とは何かを学び、どう息子を導き、育てていくかを教えていただきました。

例えば、私は息子を重度の知的障がい者で何も分かっていないだろうと決めつけておりました。

そうして、平仮名ばかりでコミュニケーションを取っていましたが、先生からは、「例え漢字が読めなくてもシンボルとして捉えているので、きちんと漢字でやり取りをしなさい。」と教えていただきました。

また、固執傾向の強いお子さんはこだわりがこだわりを生んでしまうそうです。

同じパターンにならないよう、絶えず揺さぶりをかけるよう口酸っぱく言われたのを記憶しています。

そうして今に至っております。

薬がことのほか効いているのか、それとも息子が大人になったのかは分かりませんが最近はとても落ち着いています。

咳は相変わらず嫌いなようですが、それでも、それを覆いつくすほどの楽しさが息子を支えているのではないでしょうか?

私はそんな風に考えております。

 

◎息子の成長編

さて、私は咳パニックに屈してばかりいたわけではありませんでした。

何故なら息子は咳さえ聞こえなければ、大層な努力家だったからです。

割と小さな時から家の中のことに興味を持ち、 掃除、洗濯、料理と、お手伝いをたくさんしてくれました。

中学部では「14歳の挑戦」に挑戦しました。

受け入れ先の富山型デイサービスの理解が大きかったと思います。

また、先ほどお話したH先生も駆けつけてくれました。

夏休みには就労体験もしています。

家の中で遊ぶといっても特に何も興味のない息子ですが、こと作業っぽいことだと力を発揮することに目を付けたのです。

何かをさせると息子はとても安定し、時に笑い声も発していま した。


現在は就労支援B型事業所で働きながら、様々な余暇活動をしています。

移動支援は二つの事業所と契約し、毎週金曜日の夕方にはとやま健康パークのジムで汗を流しています。

また、日曜日はヘルパーさんと富山県じゅう、更には金沢のほうまで遊びに行きます。

時々若いお嬢さんがヘルパーで付いてくださる時などは、私は彼女が出来たような気分になって 一人で喜んでいます。

家の中では、毎夕はアンパンマンの絵本の書写をしています。

書写といっても解読不明な小さな文字を書くので、最近は平仮名のハンコを購入し、それを押して書写の代わりをしています。

他に編み棒での編み物が難しいので、ハマナカのアンデミルミルを使ってマフラーなを編んでいます。

またクロバーの織り機を購入し、手織り物をこしらえております。

何故織物かというと、高等部で手芸班だったからです。

今年はダイソーに組みひもメーカーがあったものですから、組みひもストラップを作ったりしています。

どれも根気強く作業大好きな息子ならではの活動だと 言えます。

せっかくなのでインスタグラムを開設し、毎週更新するようになりました。

更に、学校を卒業してすぐの時、「これからは宿題もないしどうしよう。」と思ってジグソーパズルをさせることにしました。

最初はアンパンマンの型枠の付いたジグソーパズルをしていましたが、あっという間に完成させてしまいます。

そこで、100ピース、300ピースと次々にジグソーパズルを大きくしていった結果、今では1,000ピースのパズルも10日か2週間程度で仕上げるようになりました。

こればかりは親の私も驚きです。

もしかしたら、学齢期の時からそれなりの能力があったのかもしれません。

誰もがジグソーパズルを出来るようになるとは言えませんが、もし眠ったままの潜在能力があるのなら引き出してやりたいものです。

これから も息子の可能性を信じて、様々なことにチャレンジしていこうと思っています。