困ってる意味が違う
今日の地元新聞の社会面に「放課後等デイサービス」について大きく取り上げられていました。
事業所の定員が少なく、受け入れが不十分だというのです。
でも、各事業所のサービス内容を見てみてると、宿題をさせたり、パソコンをやらせたり、公共のマナーを学ばれたりと、レベルの高いことばかりをさせています。
これでは、本当に放課後等デイサービスを必要としている中・重度の保護者の支援にはならないですよね。
「軽い子しか受け入れませんよ!」と堂々と言ってるようなものです。
そもそも児童デイサービスは家族の要望に寄り添ったものでした。
障がい児を抱えた保護者のレスパイト的な役割や、夏休みになっても気にせずに働けるように設けられたサービスだったはず。
ところが、放課後等デイサービスが出来てからは、何やら雰囲気が変わってきました。
知的に軽度な発達障がい児のための学習塾のようなていをなしてきました。
これでは、本当にデイサービスを必要としている中・重度の障がい児の親御さんは子供を預けることができません。
単価を高くし、一般企業も新規参入できるようになったことが大きな要因です。
彼らは楽して稼ごうとします。
わざわざ手の掛かる中・重度の子供を引き受けようとはしないのです。
学習塾のような形が悪いとは言いません。
でも、ちょっと違う。
保護者が困っているのは、事業所の規模が小さくて受け入れを断られてしまうということではなく、中・重度の障がい児が通う事業所が無いということです。